プロレスは「やらせ」なのか。試しに「はい」と言ってみよう

プロレスの概要

プロレスを見ているとだんだん気になるのが「これって”何”だろう」ということです。プロレスと検索すると「やらせ」がサジェストされます。

この記事では、試しに「はい、やらせです」と答えてみようと思います。そして最終的にプロレスを「やらせ」の枠外に飛ばし、最高のエンタメスポーツとして語れればと思います。

プロレスは「やらせ」なのか。判断材料と目下の回答

プロレスは「やらせ」なのか。判断材料となる動画

まずは、プロレスとやらせの関係に触れると必ず見るようになる動画を確認しましょう。これは、他団体同士の、しかしかつては同じ団体でしのぎを削りあった4人の「試合前のミーティングの様子」と「実際の試合の様子」を交互に写した動画です。指定した秒数からその様子は始まります。

なお、動画は英語ですが、日本語話者の選手とのやりとりのため、非常に簡単です。ひとつひとつの技に関して、かなり綿密に語り合っているようです。

プロレスは「やらせ」なのか。判断材料となる選手のツイート

これは、現在新日本プロレス所属のプロレスラーの小島聡選手のツイートです。かなり熱の入ったメッセージです。実際にプロレスラーの中には、若くしてこの世を去った選手も、試合中の事故でリングに上がることもままならなくなってしまった選手もたくさんいます。

プロレスは、まるでサーカスかと思うような飛び技や、人間を何メートルも上から落とす技があります。

結論:結局プロレスは「やらせ」なの?

結論を急いでしまいましょう。管理人は、「プロレスはやらせか?」と聞かれたら、「定義によっては、「はい」。しかし、それでプロレスの価値が下がるわけではない」と答えます。

プロレス=やらせ論を改めて考えてみる

プロレスをやらせだと断定すると、何が問題になるのでしょうか。さまざまな例を出しながら考えたいと思います。

前提:プロレスはスポーツとエンタメの融合である

プロレスは、前提として「スポーツとエンタメ」です。そのため、普通の格闘技とは楽しむポイントが違います。

プロレスのその性格から、管理人は、プロレスは格闘技よりも「スポーツ漫画」に近いと考えています。

現実世界のスポーツ選手でも、「幼いころ弱かった選手が、強くなってライバルを倒す」というようなストーリーが生まれると、皆さんも「漫画みたい!」と思うのではないでしょうか。

漫画のようなエンタメでは、単純な強さだけでなく「強さに至るまでのストーリー」が重視されます。

プロレスは、その「強さに至るまでのストーリー」のような物語が全面に出る物語なのです。

プロレスに「やらせ」のラベルを貼る時

プロレスに「やらせ」のラベルを貼る時、そのほとんどが「ガチじゃない」「台本がある」という、「本人と演者」の関係を指摘するものでしょう。

簡単に言えば、戦っている本人は「戦っている選手」というキャラを演じている、という指摘です。だから、戦いの手を抜いたり、相手に合わせたりしているんだ、という意味でしょう。

この「やらせ」という言葉に近い表現は「八百長」だと思います。

しかし、「八百長」「やらせ」という言葉は、その先に「打算」や他の目的があるように感じます。

プロレスは、この意味では「やらせ」「八百長」ではありません。なぜなら、八百長試合を組んで、勝った先に勝者の打算はないからです。

言葉だけを借りるならば、プロレスは「やらせ」のために「やらせ」をしています。

プロレスは「やらせ」のための「やらせ」である

プロレスで勝敗が着くとき、そこにはやらせと正反対の空気が漂っています。負ける選手でさえ、死に物狂いで美しく技を受けるのです。安パイに勝利を渡すために負けるのではない。双方で1つの戦いを生み出すために、己の肉体を顧みずにぶつかり合うのです。

プロレスは、「やらせのためのやらせに、限りなくリアリティを与え続ける」営みです。

どんな台本があれ、それを具現化し、リアリティを高めあう行為こそ、プロレスの真髄です。

プロレスファンの末席にいる管理人からしたら、どの程度台本があるのかさえわかりません。ですが、主体的にリアリティを表現し続けている選手たちの闘志が本物であることは、確実にわかります。

プロレスが「やらせ」だとすると語れる魅力

さて、ここまででプロレスに対する「やらせ」のイメージが少し変わった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ここからは、仮に「プロレスはやらせである」と断言した時にこそ語れるプロレスの魅力をお伝えします。

  1. 才能の壁を壊す人々を見られる
  2. 受けの美学を楽しめる
  3. 悪者の誕生を楽しめる

プロレスなら「才能の壁を壊す人々を見られる」

プロレスの最大の魅力のひとつに、階級や性別を超えて勝利している人の存があります。普通のスポーツであれば、体格が恵まれているひと、そのスポーツに特化した教育を受けられた人が勝つのは当然です。

努力は等しく美しいものです。しかし、どれだけ努力しても、天性の才能の前にはどんなに頑張っても勝てない、そんな思いをした経験のあるひとはたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

プロレス界を眺めてみると、体重80kgの選手が体重150kgの選手に勝ったり、女性が自分より何十cmも身長の高い男性に勝ったりしている場面によく出くわします。

通常の格闘技であれば、体重によってかなり細かく階級が分かれていますが、プロレスにはその区分はほとんどありません。

私たちが現実世界で諦めてしまった大きすぎる壁に、果敢に立ち向かい努力が実を結ぶ選手たちを見ると、本当に勇気をもらえるものです。

これは、プロレスが持つストーリーのなせる技なのです。

プロレスなら「受けの美学を楽しめる」

プロレスはしばしば「受けの美学」と称されるスポーツです。その理由は、「受けが派手なら必殺技がもっと格好良くなる」からです。

特撮でも、ヒーローの技が決まった時や、敵襲が来たときに派手に爆発させる演出があると思います。

プロレスの受けは、まさにそんなイメージ。

プロレスは、勝った方と負けた方、技をかけた方と受けた方、どちらも一緒に「心に残る興業」を作ります。

プロレスは「悪の誕生」を楽しめる

プロレスの大きな特徴、それは「悪人」がいることです。スポーツ界で「悪人」はいません。

正確に言えば、悪人はいても、それは「スポーツの文脈外」の悪人です。

プロレスでは、プロレスの文脈内に悪人がいます。言うなれば、映画や漫画などのコンテンツにおける「悪役」。悪役がいることで、物語が進みます。

プロレスの悪役については「プロレスのヒールは「うざい」のか|3つの役割から考えるヒール論」にてまとめました。ぜひごらんください。

結局、プロレスってどう見ればいいの?

プロレスの楽しみ方は多種多様です。

実際に悪役に怒り、ブーイングを送ることもよし。ストーリーを俯瞰的に眺めて、どんな1年後が来るのかを想像するもよし。友人と酒をかわしながら、かっこいい技や衣装の話に花を咲かせるももよし。本当になんでもありなんです。

管理人のおすすめは「スポーツ漫画の連載を楽しむ、少年少女のような気持ち」で見ることです。

スポーツ漫画に対して「いや、やらせでしょ笑」や、「どうせ主人公が勝つじゃん」と冷めた気持ちを向けるのってちょっとつまらないですよね。

主人公がどう勝つのか見る、その経緯が楽しい。負けたとしても強豪校の選手を推し続けている。そんな素朴な気持ちで応援するのが楽しいと思っています。

プロレスは、連載の終わらない少年漫画です。今が一番最新刊。ぜひこの長期連載人気作品を楽しんでください。(まだ発足したばかりのプロレス団体もたくさんあります!)

   プロレスを0から見始めたいなら

別記事「初心者が抑えておきたい「プロレスの基本ルール」|これを知れば「ストーリー」を追える!」では、プロレス観戦初心者にもわかりやすく、最低限知っておきたいルールについてまとめています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました